2023年の「ネーションズリーグ」で一躍話題となったバレーボール選手の宮浦健人さん。
「誰にも止められない」”無双モード”で今後も大注目の宮浦健人選手です。
海外移籍もされ、さらに今後が期待されていますね。
一体、宮浦健人選手はどんな選手なのでしょうか?
そこで今回の記事は、
こちらの内容でまとめていきます。
【イケメン】宮浦健人のwikiプロフィール
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宮浦健人選手のwikiプロフィールは、以下のと通りです↓
名前:宮浦健人(みやうらけんと)
生年月日:1999年2月22日
年齢:25歳(2024年5月時点)
血液型:A型
愛称:ケント
出身地:熊本県荒尾市
身長:190cm
体重:86kg
ポジション:オポジット
利き手:左利き
最高到達点:347cm
所属:パリバレー
強み:サーブ
オフの過ごし方:寝る
試合前にすること:音楽を聴く
よく聞く音楽:ONE OK ROCKの楽曲
自分を動物に例えると:ナマケモノ
座右の銘:一生懸命
性格:大人しい
チャームポイント:眉毛
好きな色:白・黒
好きな食べ物:焼き肉・サムギョプサル
嫌いな食べ物:トマト・バナナ
宮浦健人選手は、2023年の『ネーションズリーグ』で一躍有名となったバレーボール選手です。
当時、宮浦健人選手がスパイクを打つと、必ずと言っていいほど得点につながり、Xでは「無双モード」というワードがトレンド入りしたほどでした。
日本バレー界の超新星として注目を浴び、ファンからは、「宮様」の愛称でも親しまれています。
そんな人気急上昇中の宮浦健人選手の経歴を見ていきましょう!
宮浦健人の学歴&経歴!名門鎮西高卒のバレーエリート!
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宮浦健人選手の経歴①…小学校時代
宮浦選手は、熊本県荒尾市率八幡小学校に入学し、
バレーボールを始めたのは、8歳の小学校2年生の時
でした。
きっかけは、
ご両親と兄がバレーボールをしていたから
です。
母親のママさんバレーについて行ったり、兄が小学校のバレークラブに通っていたため、自然とバレーボールの楽しさを知ったそうです。
元々体を動かすことが好きだった宮浦選手は、すぐにバレーにのめり込んでいきますが、バレーのセンスはイマイチだったそうです。
・スパイクを打っても『風船アタック』と家族から言われるほど下手だった。
・後輩がユニフォームを与えられても宮浦選手には与えられなかった。
・小4で試合に出場しても、後衛ポジションでスパイクを打つこともなかった。
・当時の監督に、「お前はエースではない」と言われた。
バレーを始めた頃はなかなか芽が出なかったようですね。
そんなエピソードもあったせいか、この頃は、「バレーよりサッカーの方が面白い」と思い、サッカーチームにも所属していました。
そんな時、父親の恩師であるバレーの名門校・鎮西高校の畑野監督から、
「付属の中学校にバレー部を作るから来ないか?」
とお声掛けがあったそうです。
実際に鎮西高校練習を見に行った宮浦選手は、そのレベルの高さに感激し、鎮西中学校に入学することを決めました。
宮浦健人選手の経歴②…中学校時代
畑野監督からのお声掛けがきっかけで鎮西中学校に進学した宮浦選手。
入学当時は155cmだった身長が30cmも伸び、
中学生にして身長185cm
になっていたそうです。
日本人男性の平均身長は170㎝なので、中学生にして185㎝は相当な高身長ということです!
父親が185cm、母親が170cm以上あるので、遺伝的に宮浦健人選手も長身になったようですね。
ですが、いざ鎮西中学のバレー部に入部したものの、入部当時部員は2人だったため、鎮西中学校として試合に出場することはできませんでした。
そんな中でも、宮浦健人選手は決して練習を怠ることはしなかったそうです。
・朝6時台に家を出る
・電車で1時間半かけて登校
・夜は10時すぎに帰宅
このようなとんでもなくハードな中学校生活を送っていました。
普通なら試合に出れないと目標を見失ってやる気も出ないところですが、それでも努力を続ける宮浦健人選手、中学生ながらにしっかりしていますね。
学校は給食ではなかった為、母親が早起きして作ってくれた栄養満点のボリューム弁当を持参したとか。
宮浦健人選手の母親も、息子の努力する姿をずっと影で支えていたんですね。
ちなみに、宮浦選手はのおふくろの味は、
・肉じゃが
・しょうが焼き
だそうで、当時のお弁当にも入っていたのかもしれませんね!
宮浦健人選手の経歴③…高校時代
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宮浦健人選手が最も辛かったのは、高校時代だそう。
高校バレー界の強豪・鎮西高校
に進学した宮浦健人選手は、
「点取り屋」
として全国に名を轟かせたました。
さらに、
2017年にアジアユース選手権の代表メンバーにキャプテンとして出場し、チームを優勝へ牽引
し順風満帆な高校生活を送っているようにうかがえます。
しかし、一見順調そうに見える宮浦選手、高校では苦労が続いたようです。
高1…腰椎分離症でのチーム離脱
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高1でスタメン出場を果たした宮浦選手でしたが、
「腰椎分離症」
になり、チームから離脱をよぎなくされました。
骨が未発達な成長期の小学生~高校生に、背中を反らすジャンプや腰の回錠(体をひねる動作)を繰り返し行うスポーツ、オーバートレーニングで腰椎の後方部分に亀裂が入って起こります。
「ケガ」のように一回で起こるわけではなく、スポーツの練習などで腰椎を反らしたり回したりする繰り返すのスポーツ動作のストレスで起こる椎弓の関節突起幹部の疲労骨折と考えられています。
サウスポーのエースとして一年生の時から注目を集めただけに、バレーができない時期は相当辛かったそうです。
高2…伸び悩み時期
2年生になり、エースを任されるようになるも、実力不足でチームに迷惑をかけることが多く、伸び悩む時期が続いた宮浦健人選手。
「もう辞めたい」
と口に出して泣いてしまうほど追い込まれました。
中学生から努力を重ねた成果を発揮できていただけに、伸び悩む時期には相当な挫折感を味わったのかもしれませんね。」
しかし、その悔しさをバネに地道に努力を続けた宮浦選手。
その結果、
2年生の春高バレーでは準優勝
を果たしたのです!
これまでの宮浦選手の人生の中で最も良い成績でした。
その後はキャプテンも任されることになり、心機一転優勝を目指して頑張ろうとしていたのでした。
高3…熊本地震
キャプテンを任された矢先に、
熊本地震
が発生。
高校の体育館や校舎は損壊し、練習ができない日が続きました。
全員が集まって練習を再開できたのは地震発生から1ヶ月後。
学校の体育館で練習ができない時は、福岡県や佐賀県まで行って体育館を借りたり、学校の運動場に作った『砂場のコート』で練習しました。
「エースで勝つチーム」である鎮西高校で、キャプテン兼エースを任されたプレッシャーに襲われた宮浦選手は、最後の春高では相手ブロックにマークされ、なかなかスパイクを決めれず、初戦敗退。
宮浦選手の高校バレーは幕を閉じました。
宮浦健人選手の経歴④…大学時代
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高校卒業後は、
名門・早稲田大学
に進学しました。
早稲田大学に進学したきっかけは、
田中健翔さん
でした。
田中健翔さんは、小学校時代からの知り合いであり、高校の先輩でもあります。
その田中さんが早稲田大学バレー部に所属していて、早稲田大学の松井監督からもお声掛けがあったそうです。
宮浦選手は、
「僕の高校は頭が悪かったので、ネームバリュー的にもいいかなと」
と話していました。
早稲田大学スポーツ科学部は、
偏差値:66
でもあり、優秀な大学ですので、進学できただけでも素晴らしいですよね!
バレーができるだけでなく、頭もいい宮浦健人選手、まさに文武両道ということですね。
大学1年生…戦術的なバレーを学ぶ
高校時代と全く違う環境はとても新鮮だったそうです。
高校時代のエースで勝つチームとはプレースタイルが変化し、組織の一員としてプレーするという大切さや、組織バレーや戦術も教えてもらったそう。
大学2年生…体づくりに注力
2年生になり、体づくりへの考え方にも変化がありました。
「もっと成長したという欲が出てきた。自分でたくさん考えた結果、トレーニングをして体を大きくしていかないといけないと思った」
引用元・http://wasedasports.com/feature/20210225_141786/
ウエイトトレーニングのトレーナーを付けてのトレーニングや、コンディショニングスタッフや栄養士と密にコミュニケーションを取り、ケガの予防や体調管理など地道に体づくりに取り組んでいたようです。
大学3年生…ジャンプサーブを武器に飛躍
2年生まではジャンプフローターサーブを打っており、得点源にはなっていませんでした。
ですが、2年生の冬に参加したアジアU23選手権の合宿で、同世代の選手がシニアの代表に選出され始め、自分もシニアで戦いたいという思いが強くなったそうです。
当時監督だったゴーダン・メイフォース氏にアドバイスを求めた際、
自分に足りないものは手持ちの武器=サーブ
だと気づきました。
体作りにも取り組んでいた成果もあり、ジャンプサーブに変えてからスピードやパワーが増し、出場するほとんどの大会でサーブ賞を受賞するようになりました。
このことにより、さらに自信がついてきたようです。
「サーブは自分の武器だと今では自身を持って言える」
引用元・http://wasedasports.com/feature/20210225_141786/
大学4年生…コロナで相次ぐ大会中止
4年生になり、キャプテンを務めることとなった宮浦選手。
しかし、新型コロナウイルスの感染拡大により、大会は相次いで中止に。
それでもこの機会を成長につなげるべく、より一層トレーニングに励みました。
それは、
「チーム内で誰よりも頑張っている」
と言われるほどでした。
やはり、宮浦健人選手は努力家ですよね。
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その結果、体が大きくなった宮浦選手は、
「4年生になってからは8割程度の力で去年と同じスピードで打てるようになった。コントロールもできるようになって精度が上がった」
引用元・http://wasedasports.com/feature/20210225_141786/
このように話していました。
4年生の10月には、秋季関東大学リーグ戦の代替大会が開催されましたが、その1週間後に早稲田大学が所属する1部リーグのチームでクラスターが発生し、中断を余儀なくされました。
そんな中でも宮浦選手は一人だけは前を向き、このようにチームメイトを鼓舞しました。
「ここで終わるわけじゃない。全日本インカレで最高な形で終わるために、今は頑張らないといけない」
引用元・http://wasedasports.com/feature/20210225_141786/
その後、
全日本インカレ4連覇
を果たし、
「これまでの努力が報われた」
としみじみ感じたそうです。
宮浦選手の経歴⑤…Vリーグ「ジェイテクト」に入団
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早稲田大学卒業後は、
Vリーグ「ジェイテクト」に入団
しました。
Vリーグ男子では外国人選手がオポジットを務めることがほとんどです。
しかし、数少ない日本人オポジットを採用している「ジェイテクト」を選びました。
ジェイテクトといえば、日本代表のオポジットを務めるサウスポーエース西田有志選手の所属チームですが、宮浦選手が入団するタイミングで西田有志選手はイタリアリーグに移籍しました。
その西田選手に変わってチームの主砲を務める宮浦選手は、Vリーグ1年目から、
総得点ランキングで日本人トップ
になるなど大活躍します。
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入団した年の9月には、
アジア選手権で目標としていたシニア代表デビュー
も果たし、
ベストオポジット賞
まで受賞。
躍進が素晴らしすぎます!
しかし、シニアでの始めての国際試合で相手の身体能力に高さに驚き、自分もそのレベルに合わせていかねければと痛感したそうで、さらに努力を続けました。
「前の日よりももっと良くなるようにやっていこうと意識しています。いつも、その日の練習映像を見て、自分の良かったところと悪かったところを確認しながら、次の日の練習メニューを考えています」
宮浦選手は努力を止めない人ですね。
そんな努力を重ねる宮浦選手について、ジェイテクトのフェデリコ監督はこのように話していました。
「宮浦はいつも練習でベストを尽くしていると思いますし、人柄も良い。一度も文句を言ったことはないし、いつもチームを優先して動いてくれています」
宮浦選手のひたむきな人柄と努力は近くで見ている監督からも高評価でした。
宮浦選手の経歴⑥…ポーランドリーグへ移籍
学生の頃から一度は海外でプレーしたいと思っていた宮内選手は、同じポジションの西田選手がイタリアから戻ってくるということもきっかけとなり、
ポーランドのリーグへ移籍を決意
しました。
ポーランドに行って苦戦したのは、英語でのコミュニケーションだったそうです。
ヒアリング程度は出来ていたものの、意思を正確に伝えることに苦労したとか。
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ポーランドへ行ってからはスタメン起用ではなく、ピンチサーバーや2枚替えといった場面での出場が多く、ほとんどの試合でプレーしたそう。
スパイクの精度を上げたり、リバウンドなどのネット際の処理に練習で時間をかけるようにしていて、少し攻撃の幅が増えてきている実感があるそうです。
まだまだ成長段階の宮浦選手、今後も努力を重ねて日本代表のエースも狙えそうですね!
宮浦健人の経歴⑦…フランスリーグパリバレーに入団!
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2023年6月16日、宮浦健人選手は自身のInstagramで、
フランス1部リーグのパリバレーへ入団
することを発表しました。
パリバレーは、欧州チャンピオンズリーグで優勝経験もあるチームです。
ポーランドではなかなか出場機会に恵まれなかった宮浦選手ですが、ネーションズリーグでの素晴らしい活躍で世界から注目される選手となりました。
パリバレーでのスタメン出場は期待できそうですね!
まとめ
今回の記事は、
・宮浦健人のwikiプロフィール
・宮浦健人の経歴&学歴
こちらの内容でまとめました。
2023年のネーションズリーグで大活躍した宮浦健人選手の、ここまでの道のりは決して楽なものではなく、人一倍努力したからこそ実った成果だったんですね!
あらゆる困難を乗り越え、今や日本代表として活躍する宮浦健人選手が、今後も努力を重ね、さらに活躍する姿を期待したいです。
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