「東アジア反日武装戦線」のメンバー・桐島聡容疑者と名乗る男の身柄が確保されていました。
ですが、2024年1月29日朝、末期がんのため死亡したそうです。
桐島聡容疑者は、一体何をした罪で、指名手配されていたのでしょうか?
そこで今回の記事は、
こちらの内容でまとめていきます。
桐島聡容疑者を名乗る男が死亡
1970年代に起きた連続企業爆破事件の1つに関わったとして指名手配された「東アジア反日武装戦線」のメンバー、桐島聡容疑者(70)と名乗る人物が、29日朝、入院先の神奈川県内の病院で死亡したことが捜査関係者への取材でわかりました。
警視庁はDNA鑑定などで確認を急いでいて、本人と確認されれば、容疑者死亡のまま書類送検する方針です。
引用元・NHK
桐島聡容疑者は、指名手配犯として、約50年間逃亡を続けていました。
一体何をした罪で、指名手配されていたのでしょうか?
【わかりやすく】桐島聡は何をした罪で指名手配?
桐島容疑者は、
1974〜75年に発生した連続企業爆破事件に関与したとして、爆発物取締罰則違反容疑で指名手配
されていました。
東アジア反日武装戦線が旧財閥系企業、大手ゼネコン社屋・施設などに爆弾を設置し爆破した事件。
1974年8月から1975年5月にかけて、「東アジア反日武装戦線」は、日本国家をアジア侵略の元凶とみなし、アジア侵略に加担しているとされた企業に対し断続的に爆破事件を起こした。
連続企業爆破事件とは、過激派集団「東アジア反日武装戦線」による大手企業を対象とした爆破テロ事件です。
桐島聡容疑者は、「東アジア反日武装戦線」というグループに所属し、この爆破テロ事件に関与した疑いがあるそうです。
・1970年代に爆弾テロを行った日本のアナキズム系の極左テロ集団、極左暴力集団
・「アジア侵略に加担している企業」と決めつけ、三井物産や帝人、大成建設、鹿島建設、間組など海外進出日本企業を標的とし、12件もの爆破事件を起こした。
・「オオカミ」「大地の牙」「さそり」の3つのグループが存在する。
・「日本帝国主義」がアジアで行ってきた「悪行」について集中的に学習し、過激な反日思想を増幅させた集団。
桐島聡容疑者は、
明治学院大学在学中に黒川芳正や宇賀神寿一と出会い、「さそり」班に参加。
1975年4月18日、東京の銀座の韓国産業経済研究所の入口に、手製の時限信管付爆弾を仕掛け翌日に爆発させたのです。
これにより、桐島聡は翌5月に、
爆発物取締罰則違反
の罪で指名手配されます。
1975年に以下の容疑者8名が一斉逮捕されていましたが、桐島容疑者は警視庁に指名手配される中、約50年間も逃亡を続けていました。
- 大道寺将司(東京拘置所で死去)
- 大道寺あや子(国際指名手配中)
- 佐々木規夫(国際指名手配中)
- 片岡利明(収監中)
- 斎藤和(逮捕される時に服毒自殺)
- 浴田由紀子(2017年3月23日に刑期満了で釈放)
- 黒川芳正(服役中)
- 宇賀神寿一(2003年6月11日に出所)
桐島聡の逃亡生活の真相は?
1989年と1990年、警察庁は過激派の爆弾犯、誘拐犯ら10人を指定の公開手配とした中の1人に、桐島聡を挙げました。
そこから、桐島聡の逃亡生活は始まりました。
海外逃亡したと思われていた桐島聡容疑者でしたが、約半世紀近くも国内に潜伏していたのです。
1974、75年に起きた連続企業爆破事件で、爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されている桐島聡容疑者(70)を名乗った男が、「内田洋(うちだひろし)」の偽名を使い、約40年間にわたり神奈川県藤沢市の土木会社で住み込みで働いていたことが捜査関係者への取材でわかった
引用元・朝日新聞
桐島聡とみられる男は、「内田洋(うちだひろし)」という偽名を使っていた為、会社側は桐島容疑者である可能性を疑いもしなかったようです。
しかし、末期の胃がんを患った桐島聡容疑者と名乗る男は、偽名の「内田」と名乗って入院しましたが、
2024年1月25日に病院側に「自分は桐島聡だ」
と明かしました。
「最期は『桐島聡』で死にたい」とも言っていたそうです。
身元の確認が進められている最中の2024年1月29日、桐島聡とみられる男は死亡したことが明らかになりました。
約50年にも及ぶ逃亡生活の詳細は、現時点では明らかにされていない点が多くあります。
わかり次第追記していきます。
【わかりやすく】桐島聡は何をした罪で指名手配?逃亡生活の真相は?まとめ
今回の記事は、
・桐島聡は何をした罪で指名手配された?
・事件を時系列まとめ
こちらの内容でまとめました。
桐島聡容疑者は、逮捕直前に亡くなってしまいました。
逃亡生活の中身はまだ謎に包まれていますが、そんな思いで半世紀を生きてきたのでしょうか。
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