上田敬博さんは、「救命医」として知られています。
過去には、「京都アニメーション放火殺人事件」の犯人の元主治医ろして注目を集めました。
そんな上田敬博さんは、一体どんな方なのでしょうか?
経歴や学歴についても気になります。
そこで今回の記事は、
こちらの内容でまとめました。
【顔画像】上田敬博のwikiプロフィール
- 名前:上田敬博(うえだ たかひろ)
- 生年月日:1971年12月17日
- 年齢:53歳(2024年4月時点)
- 出身地:福岡県福岡市
- 職業:医者
- 好きな俳優:平尾誠二
- 好きなアーティスト:ビリー・ジョエル
- 座右の銘:雑草魂
- スポーツ歴:ラグビー
上田敬博さんは、
「やけど治療のスペシャリスト」
として、知られています。
上田敬博の学歴
上田敬博さんの学歴は、以下の通りです↓
高校:福岡大学附属大濠高校
大学:近畿大学医学部
では、一つずつ見ていきましょう!
上田敬博の出身高校
上田敬博医師の出身高校は、
福岡大学付属大濠(おおほり)高校
です。
この高校は、福岡市にある私立の中高一貫の学校です。
偏差値:62.0~71.0
の優秀な高校です。
卒業生には、
・池松壮亮さん(俳優)
・博多華丸さん(お笑い芸人)
・山下瞬平大さん(プロ野球選手)
がいます。
上田敬博医師は、高校時代を振り返り次のようにコメントしています。
生徒会生活委員長をしていました。
体育祭では企画から練習時の進行まで全て生徒会主導で運営したいと先生に直談判し、それを快く承諾され無事体育祭を成功させることができたのは自信になりました。
学生の自主性を重んじるというのはまさにこのことであり、大濠はそういう点では非常にフレキシブル(柔軟)で自由なところがあると思いました。
引用元:福岡大学付属大濠高校HP
上田敬博さんは、この頃から「リーダーシップ性」も持ち合わせていたようで、積極的に学校行事の運営に取り組んでいたようです。
上田敬博の出身大学
上田敬博さんの出身大学は、
近畿大学医学部
です。
この大学は、
偏差値:65.7
です。
高校時代、医師になることを目指して父親の母校である「九州大学医学部」を受験しましたが、不合格。
三浪の末に、この「近畿大学」に進学しました。
上田敬博さんは、国立大学信仰があった父親から、
医者になっても認めない
と言われ、見返すために大学時代は猛勉強したそうです。
夏休みや冬休み期間は、常に研究室に入り浸り、勉強に励んでいたとか。
また、大学2年生の時、阪神淡路大震災で、ボランティアとして被災地を訪れています。
そのことをきっかけに、卒業後は心療内科へ進むことを考えていました。
ですが、九州大学の医局長から「まずは一般内科、一般外科を市中病院で勉強したらどうか」と言われ、東神戸病院を研修先に選びました。
上田敬博の経歴
上田敬博さんの経歴は、以下の通りです↓
上田敬博医師の経歴
2001年:大阪府済生会千里病院千里救命救急センター レジデント
2006年:兵庫医科大学病院 救急・災害医学教室(救命救急センター)助教
2010年:兵庫医科大学病院救命救急センター 副センター長
2014年:兵庫医科大学医科学研究科(生体応答制御系)博士課程 修了
2016年:Robert Wood Johnson Univ.Hospital 外傷センター
2018年:近畿大学医学部附属病院救命救急センター講師 熱傷センター設立
2020年:鳥取大学医学部附属病院 救命救急センター 教授
2021年:鳥取大学医学部大学院医学系研究科 救急災害医学 教授
2022年:鳥取大学医学部附属病院 高度救命救急センター 教授
では、上田敬博さんの経歴を詳しく見ていきましょう!
上田敬博の経歴①…医者一家に生まれる
福岡県福岡市で、「医者一家」に生まれた上田敬博さん。
上田敬博さんの父親は、「九州大学の勤務医」でした。
幼稚園の時に父親の医院開業のために一家で北九州市に引っ越しています。
上田敬博医師は、優秀な外科医の父親と比べて幼少期には劣等感を抱いていたとか。
さらに上田敬博さんは、掛け算を覚えるのがクラスで一番遅く、スポーツも苦手だったため、さらに劣等感は大きくなっていったようです。
上田敬博の経歴②…高校1年生の時、医者を目指す決意をする
上田敬博さんが医師を目指すようになったのは、高校1年生の時でした。
たまたま父親の夜中の往診について行くことになり、往診の様子を見て、
自分も患者に寄り添える医師になりたい
と思ったそうです。
その父親は、2001年に他界しています。
その当時は、悲しみに暮れつつも、涙は流さなかったとか。
それ以来は、感情を押し殺し、患者の感情に対しても割り切るようになったそうです。
上田敬博の経歴③…研修医時代
研修当日に緊急搬送されてきた心肺停止の患者を救命できず、大きなショックを受けてしまいました。
しかし、緊急対応には「真剣にやらなければいけない」という気持ちの変化があったそうです。
その後は、「大阪府済生会千里病院千里救命救急センター」に移籍。
この病院では、
2001年6月に起こった「附属池田小事件」を経験
しました。
さらに、「兵庫医科大学病院救命救急センター」に移籍してからは、
「JR福知山線脱線事故」を経験
しています。
大きな事件や事故を経験してきたようですね。
上田敬博の経験④…熱傷治療の専門医
救命医になり、7年目になって「熱傷治療」を手掛けるようになりました。
きっかけは、熱傷治療専門の医師が脳梗塞になったことで、専門的な手術をできる人がいなくなったからです。
2009年には、保険適用となったばかりの自己培養表皮を用いた広範囲熱傷の手術に成功。
2016年の熊本地震の際は、DMATの隊員として被災地に向かい、避難所で患者の応急措置を担いました。
上田敬博の経歴⑤…京アニ事件
2018年4月からは、母校「近畿大学病院」で勤務。
2019年7月18日に
「京都アニメーション放火殺人事件」
が発生。
熱傷が専門の上田敬博さんは、負傷者の受け入れを熱望しましたが、事件当日に負傷者が搬送されることはありませんでした。
しかし、事件発生から2日後、犯人が近畿大学病院に搬送されてきました。
全身にやけどを負った犯人の姿を見て、「ちょっと厳しい」と上田さんは思っていました。
ですが、事件の被害者や家族のためにも「死に逃げさせてはいけない」という使命感を持ち、治療を開始。
手術は複数回に分けて行われ、6回目の手術で犯人は会話ができるようになるまで回復したのです。
上田敬博の経歴⑥…救命救急センター教授に就任
2020年、
「鳥取大学医学部附属病院救命救急センター教授」
に就任しました。
2023年9月1日、関西テレビで放送された「ザ・ドキュメント 猛火の先にー京アニ事件と火を放たれた女性の29年ー」で、京アニ事件の犯人の治療に当たった上田敬博さんらの医療チームが特集されました。
この番組は、「第61回ギャラクシー賞奨励賞」を受賞したのです。
2024年1月25日には、「京アニ事件」の裁判で、犯人に死刑判決が下り、その日に上田敬博さんは会見を開きました。
その場で上田敬博さんは、
「目の前で絶命しかけている人がいたら救うのが私の職種。犠牲になった方、遺族、被害にあった方、家族にとって、死に逃げさせてはいけない」
このように話しました。
医師としての任務をしっかり果たすという意思を強く感じる発言ですね。
今後も上田敬博さんの活躍が期待できそうです。
上田敬博はラグビーで精神力を鍛えてきた
上田敬博さんは、小学生の頃から、ラグビーを始めたそうです。
また、大学時代には、社会人クラブチームでラグビーを続けていました。
大学卒業から10年後には、元プロラグビー選手・平尾誠二さんが創設した、
「SCIX(スポーツ・コミュニティ・アンド・インテリジェンス機構)」
で再びラグビーを再開。
ラグビーの経験は、救急医療の現場でも生かされているとか。
上田さんの診療スタイルは、
タックルのように「逃げない精神」で正面から患者に向き合う
だそうです。
重症患者が運ばれてきたら、
個人個人が役割分担して、患者を救うという共通した目的のために全員で頑張るということがラグビーの「One for all, All for one」の精神に似ている
とのこと。
諦めない強い気持ちで患者に向き合う精神を、ラグビーで鍛え、ラグビーの考えが医者としての活動に生かせているようですね。
まとめ
今回の記事は、
・上田敬博のwikiプロフィール
・上田敬博の学歴
・上田敬博の経歴
こちらの内容でまとめました。
上田敬博さんは、医者の家系に生まれ、偉大な父親の影響から、医者になりました。
京アニ事件の犯人を治療し、話題となった救命医です。
身体の93%にヤケドを負った犯人を見事に助けた名医と言われています。
今後も多くの患者を救ってくれることでしょう。
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