連続企業爆破事件の収容指名手配犯・桐島聡容疑者を名乗る男の身柄が確保されていました。
ですが、2024年1月29日、末期がんのため死亡しました。
桐島聡容疑者は、「東アジア反日武装戦線」に所属していました。
その、「東アジア反日武装戦線」とは、一体どんなグループなのでしょうか?
そこで今回の記事は、
こちらの内容でまとめていきます。
桐島聡容疑者が死亡!
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約50年もの間、逃亡を続けていた桐島聡容疑者が、2024年1月29日、末期がんで死亡しました。
過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバーで重要指名手配犯・桐島聡容疑者を名乗る男は末期の胃がんで1月、県内の病院に入院し、その後、極めて重篤な状態が続いていたが、29日朝、死亡した。
1年ほど前から胃がんを患い、1月に入って路上で倒れ、自ら通報し、入院していた。
警視庁は、桐島容疑者の親族とのDNA型鑑定を進めていて、本人と確認されれば、容疑者死亡のまま書類送検されるとみられる。
引用元・FNN
桐島聡容疑者は、企業を標的にテロ行為を繰り返した「東アジア反日武装戦線」にというグループに所属していました。
この「東アジア反日武装戦線」とは、一体「どんなグループだったのか」、「何をしたのか」気になりますよね。
次で詳しくご紹介します。
【わかりやすく】東アジア反日武装戦線とは?
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「東アジア反日武装戦線」とは、
1970年代に爆弾テロを行った日本のアナキズム系の武闘派極左テロ集団
です。
アナキズムとは、国家や宗教など一切の政治的権威と権力を否定し、自由な諸個人の合意のもとに個人の自由が重視される社会を運営していくことを理想とする思想。
ウィキペディア
このテロ集団は、
・狼
・大地の牙
・さそり
の3つのグループに分かれ、桐島聡容疑者はさそりに所属していました。
東アジア反日武装戦線はなぜ結成された?
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1970年春、大道寺将司(後の主犯格)が法政大学在学中に結成した「Lクラス逃走委員会」が源です。
大道寺将司と「Lクラス逃走委員会」の主要メンバーが中心となり、その後「研究会」を結成しました。
この研究会では、
日本帝国主義がアジアで行なってきた悪行について集中的に学習し、過激な反日思想を増幅させていきました。
その後、反日運動のために「武力闘争をしなければならない」という考えに至り、事件に繋がっていったというわけです。
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東アジア反日武装戦線の目的
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「東アジア反日武装戦線」の目的は、以下の通りです。
- アメリカの日本への原爆投下からの「被害」という意識から脱却すること
- 日本帝国主義による35年間に及ぶ朝鮮の侵略・植民地への「批判」に対して日本国民に伝えること
これらの思想が、アジア諸国から利益を得てきた大企業を対象にテロを起こすことに繋がっていきました。
東アジア反日武装戦線は何をした?
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昼休み中の通行人を含む8人死亡・380人の重軽傷となった三菱重工爆破事件など、
1974年8月から1975年5月にかけ12件もの連続企業爆破事件を起こしました。
三井物産や帝人、大成建設、鹿島建設、間組などの海外進出日本企業を、「アジア侵略に加担している企業」と標的にしました。
また、1974年には、昭和天皇に対する暗殺計画、「虹作戦」を計画し、実行未遂に終わっています。
連続企業爆破事件とは?
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東アジア反日武装戦線が旧財閥系企業、大手ゼネコン社屋・施設などに爆弾を設置し爆破した事件。
1974年8月から1975年5月にかけて、東アジア反日武装戦線は日本国家をアジア侵略の元凶とみなし、アジア侵略に加担しているとされた企業に対し断続的に爆破事件を起こした。
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「東アジア反日武装戦線」が起こした連続企業爆破事件は、多数相次ぎました。
【1974年】
・8月30日 – 「狼」班による三菱重工ビル爆破(三菱重工爆破事件)。8名が死亡、376人が重軽傷。
・10月14日 – 「大地の牙」班による物産館(三井物産本社屋)爆破(三井物産爆破事件)。16人が重軽傷。
・11月25日 – 「狼」班による帝人中央研究所爆発(帝人中央研究所爆破事件)。
・12月10日 – 「大地の牙」班による大成建設本社爆破(大成建設爆破事件)。9人が重軽傷。
・12月23日 – 「さそり」班による鹿島建設資材置場爆破(鹿島建設爆破事件)。
【1975年】
・2月28日 – 三班合同による間組本社ビルと同社大宮工場爆破(間組爆破事件)。5人が負傷。
・4月19日 – 「大地の牙」班によるオリエンタルメタル社・韓国産業経済研究所爆破(オリエンタルメタル社・韓産研爆破事件)。
・4月28日 – 「さそり」班による間組京成江戸川作業所爆破(間組爆破事件)。1人が重傷。
・5月4日 – 「さそり」班による間組京成江戸川橋鉄橋工事現場爆破(間組爆破事件)。
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「東アジア反日武装戦線」のメンバーは?
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一連の事件に関与した疑いが持たれていたメンバーは、以下の通りです。
逮捕後の足取りとともにまとめました。
メンバー | 逮捕後の足取り |
大道寺将司 | 東アジア反日武装戦線を結成したリーダー。後「狼」班リーダー。 1975年5月19日逮捕。 1977年の日本赤軍の要求した超法規的措置による釈放を逮捕者の中で唯一拒否した。 最高裁において1987年3月24日に死刑が確定。 2017年5月24日、多発性骨髄腫により収監中の東京拘置所で死去。 |
大道寺あや子 | リーダー大道寺将司の妻。事件当時は薬剤師。 1975年5月19日逮捕。 1977年10月1日以後の日本赤軍による超法規的措置で釈放後、国際指名手配中。 |
片岡敏明 | 1975年5月19日逮捕。 最高裁において1987年(昭和62年)3月24日に死刑が確定。収監中。 |
佐々木規夫 | 1975年5月19日逮捕。 1977年10月1日以後の日本赤軍による超法規的措置で釈放後、国際指名手配中。 |
齋藤和 | 東アジア反日武装戦線“大地の牙”部隊リーダー。 1975年5月19日逮捕。逮捕時に服毒自殺。 |
浴田由紀子 | “大地の牙”部隊リーダー齋藤和の内縁の妻であり、住居提供&犯人秘匿をしていた。 1975年2月、朝日生命成人病研究所勤務へ転職。 1975年5月19日逮捕。 1977年、日本赤軍の要求に基づき超法規的措置で釈放後日本赤軍に加入し、国際手配される。 1995年、ペルーからルーマニアに日系ペルー人を装って入国し、潜伏活動中の3月20日に身柄を拘束され、偽造有印私文書行使の容疑で国外退去となり日本へ向かう飛行機内で逮捕。 2002年(7月4日、東京地方裁判所にて懲役20年の判決が下される。 服役中は栃木刑務所で過ごし、2017年3月23日に刑期満了で釈放。 |
黒川芳正 | 1975年5月19日逮捕。 1979年11月東京地裁で無期懲役の判決が下る。 現在も服役中。 |
宇賀神寿一 | 上記のメンバー同時逮捕では逮捕を免れ、1982年7月に京都板橋区内で逮捕。 同年3月まで偽名で新聞販売店で働いていた。 1977年3月24日、最高裁にて上告棄却し、無期懲役が確定。 1990年2月に最高裁で懲役18年判決が確定した。 岐阜刑務所に13年間服役し、2003年6月11日に出所。 |
桐島聡 | 同時逮捕を免れた。 1975年5月20日に渋谷区内の銀行で現金を下ろした後、31日に広島県の実家に「岡山に女と一緒にいる」と父親に電話したのを最後に、足取りが途絶えていた。 その後、海外潜伏を経て神奈川県内の工務店に長期間勤務していた。 2024年1月、体調を崩して路上で倒れ、自ら救急車へ連絡して入院。 末期の胃がんだった。 「ウチダヒロシ」という偽名で入院中だったが、1月26日「最期は本名で迎えたい」と桐島聡であると名乗り出て、通報された。 警視庁公安部が捜査する中、1月29日死去。 |
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警視庁は1975年5月、「東アジア反日武装戦線」の大道寺将司ら8人を一斉逮捕しました。
逮捕されたメンバーは、会社員や喫茶店店員といった職業で、平凡な市民を装っていたようです。
1982年には、もう1人が逮捕され、桐島聡容疑者だけが一度も逮捕されないまま、49年間逃走を続けていたことになります。
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大道寺あや子、佐々木規夫、浴田由紀子の3人は、過激派「日本赤軍」が起こした75年8月の在マレーシア米大使館を占拠したクアラルンプール事件と、77年10月の日航機を乗っ取ったダッカ事件に伴う要求を受け入れた日本政府の「超法規的措置」で釈放されました。
その後、出国し、日本赤軍に合流しました。
この中の一人、浴田由紀子は海外で拘束され、帰国後に殺人未遂などの罪に問われて懲役20年の刑が確定後、2024年現在は出所しています。
他2名は国際手配中で、現在も逃亡を続けているということです。
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【わかりやすく】東アジア反日武装戦線とは?目的・メンバーは?まとめ
今回の記事は、
・「東アジア反日武装戦線」とは?
・「東アジア反日武装戦線」の目的や・メンバーは?
こちらの内容でまとめました。
「東アジア反日武装戦線」は、多くの爆破事件を起こしたテロ集団でした。
桐島聡容疑者は、その中の「さそり班」に属していたようですね。
現在も逃亡中の容疑者がいるということで、早く捕まるといいですね。
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