「岩・下・のっ!新・生・姜♫」でおなじみの、岩下食品株式会社。
この岩下食品の社長を務めるのが、岩下和了さんです。
岩下和了さんのSNSのフォロワーは20万人を超えるほどの人気っぷりです。
そんな岩下和了さんとは、一体どんな人物なのでしょうか?
そこで今回の記事は、
こちらの内容でまとめていきます。
【顔画像】岩下和了社長のwikiプロフィール
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岩下和了さんのプロフィールは、以下の通りです↓
名前:岩下和了
読み方:いわしたかずのり
生年月日:1966年生まれ
年齢:58歳(2024年6月時点)
出身地:栃木県栃木市
岩下和了さんは、「岩下食品株式会社」の4代目社長です。
栃木県栃木市にある「岩下の新生姜ミュージアム」を開設したり、SNSでは岩下の新生姜の宣伝活動をしたりと、精力的に活動されています。
アグレッシブなTwitter活用術で、Twitterフォロワー数を着実に伸ばしているようです。
どんな岩下和了さんの学歴は、どうなっているのでしょうか?
【顔画像】岩下和了社長の学歴
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出身高校:慶應義塾高校
出身大学:慶應義塾大学経済学部
では、岩下和了さんの学歴を一つずつ見ていきましょう!
岩下和了の出身高校
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岩下和了さんの出身高校は、
慶應義塾高校
です。
慶應義塾高校は神奈川県横浜市にある、福沢諭吉が創立した私立の男子校です。
神奈川県内の市立男子校では最も偏差値が高いことで知られています。
偏差値:75
という超優秀な高校で、ほぼ全ての大学を目指せるレベルだそう。
偏差値70〜75は、100人の受験生がいるとすると、1〜2番目になることから、岩下和了社長はとんでもなく賢い方ということですね。
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ちなみにこの高校の卒業生には、多くの著名人が名を連ねていました。
・櫻井翔(嵐)
・ミッツ・マングローブ
・加山雄三
・河野太郎(政治家)
・岩田剛典(三代目J Soul Brothers)
・松本隆(作詞家)
・石原良純(タレント)
など。
政治家や有名タレントばかりで驚きです。
岩下和了の出身大学
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岩下和了さんの出身大学は、
慶應義塾大学経済学部
です。
慶應義塾高校卒業後は、9割以上の生徒が慶應義塾大学へ推薦され、進学します。
慶應義塾大学に進学した理由は、目標としていた5歳年上の兄が進学した学部であり、家業にとって都合が良いという考えからだったそう。
そのため、岩下和了社長もこの大学に進学したようです。
慶應義塾大学経済学部は、
偏差値:65.0〜67.5
となっており、首都圏の私立文系大学でも高い偏差値を持つ大学の一つです。
岩下和了社長は、岩下食品の御曹司として、この大学に進学し社長になる準備をしていたのでしょうか。
岩下和了社長の経歴!
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岩下食品の社長を務める岩下和了さんは、これまでどのような人生を歩んできたのでしょうか?
詳しく見ていきましょう!
岩下和了社長の経歴①:岩下食品の次男として生まれる(1966年)
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岩下食品は、初代の岩下源次郎氏が1899(明治32)年に乾物・野菜類の小売業として創業し、戦時中、軍納品として漬物製造業に着手しました。
1955年に株式会社化し、1986年に現在の岩下食品に社名変更。
その後の1987年に発売した「岩下の新生姜」がロングセラー商品になり、「岩下のピリ辛らっきょう」も人気になっています。
岩下和了さんの父親は1933(昭和8)年に7人兄弟の長男として生まれ、若くして父親(岩下さんの祖父)を亡くして家を背負い、以後40年以上にわたり社長を務めていました。
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そこに生まれて生きたのが、岩下和了さんでした。
ですが、岩下和了さんは、岩下食品を継ぐ気は全く無かったとか。
子どもの頃の私は、家を継ぐ気持ちはありませんでした。
それは、5歳上の兄がいたからです。昔気質の家父長的な考えや地方の風土もあり、長男が継ぐのが当たり前だとされていました。次男の私は「兄の脇で専務あたりでどうだ」とは言われましたが、家を継げと言われたことはありません。
引用元・ツギノジダイ
5歳上に兄がいたことで、将来岩下食品の社長になることを期待もされずにいたのだとか。
岩下和了社長の経歴②:銀行に入行(1989年)
ですが、跡取りとして期待されていた兄が学生時代に進みたい道を自ら見いだしたことによって、話が変わってきたそうです。
父に「家を継ぐつもりはない」と宣言して、日本銀行に就職しました
。私は、兄貴がやらないなら自分がやるしかないと考えるようになりました。
引用元・ツギノジダイ
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岩下食品を将来的に継ぐことになった岩下和了社長は、1989年に大学を卒業し、
住友銀行(現・三井住友銀行)に入行
しました。
家を継ぐことを前提に、食品会社や食品関連を扱っている商社、銀行を考えていたそうです。
大学のゼミの恩師に相談したところ、
「将来経営を考えるなら銀行ですね」
とピシャリと言われたこともきっかけとなったとか。
兄も銀行員になったことから、兄弟揃って優秀ということが分かりますね。
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住友銀行を選んだのは、魅力的な先輩がいたからだそうです。
当時の住友銀行は勢いがあったことで、自分には精神的にやわな部分があると自覚していたので、鍛えてくれるのではという気持ちも少しありました。
引用元・ツギノジダイ
最初の配属先は支店の外為課で、当時のデリバティブ取引などに詳しくなったとか。
語学留学のような形で、半年間、台湾に行かせてもらった経験もあるようです。
岩下和了社長の経歴③:岩下食品に就職(1993年)
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岩下和了さんは、銀行に入行してから4年後の1993年に、家業の岩下食品に入りました。
銀行では、いい上司にも恵まれ楽しく勤務していたそうですが、1992年、「岩下の新生姜」のテレビコマーシャルを開始し、一気に会社の知名度が広がりました。
これをきっかけに大学新卒者の採用も始まり、実家がバタバタし始めたそうです。
父には、大量採用した人たちを育て、企業としての戦力にするのは難しいと思いました。
「一歩間違うと、大けがして会社が潰れる可能性もある」という危機感を抱きました。
母親が病気がちになるなど複数の理由が重なって、戻ることにしました。
引用元・ツギノジダイ
知名度が上がったことで、危機感もあったようですね!
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ですが、家業に入ってすぐ、会社の問題に立ち向かうことに。
私は8月に入社しましたが、その年の4月に入社していた新卒社員20人ほどと親睦会を開きました。集合時間に着いたら、全員が正座をして待っていて、こう言われました。「和了さんならわかってくれると思って話しますが、これから会社の問題について言います。一人ずつしゃべりますが、全員の総意だと思ってください」
引用元・ツギノジダイ
社員の不満が爆発したそうです。
誇りを持って働ける場所に、会社を変えなければならないと、強く感じるようになり、その後は社内ルールを整備したそうです。
岩下和了社長の経歴④:社長に就任(2004年)
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2004年に岩下食品の社長に就任した岩下和了さん。
漬物の市場は2000年くらいがピークで、それ以降は下降していったそうです。
そんな中でマーケティングを重視した体質に転換する必要があったものの、そう簡単には進まなかったみたいです。
そこで開始したのが、
「TwitterなどSNSの活用」
でした。
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SNSでの発信を続け、岩下の新生姜が多くの人に愛されていることに気付きます。
そのつぶやきをした人に返信を書いたことでさらにその数が増え、ファン化していきました。
また父親がやっていた美術館のスペースに、
「新生姜ミュージアム」
を立ち上げ、奇抜なアイデアをどんどん打ち出していきました。
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5メートルの新生姜のかぶりものや、男性器にも似た新生姜オブジェなど奇抜な展示がズラリと並ぶこのミュージアム。
ここで岩下社長と写真を撮ると運気が上がるという“伝説”もあります。
休日には一日1000人以上が来館するホットスポットとなっているようです。
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そして、この「新生姜ミュージアム」の入場料は無料。
新生姜ファンに少しでも還元しようとする姿勢が今の時代に通じているのかもしれませんね。
岩下和了さんは、それまで知名度がほとんどなかったような会社を有名な会社に押し上げることに成功しました。
大学や三井住友銀行で学んだ知識や経験が、家業に生かされているということですよね。
岩下和了の経歴⑤:ピンクの格好が話題!
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岩下社長は、髪の色、スーツにシャツ、靴、腕時計、マスクに至るまでピンクの“生姜カラー”という装いをされています。
2017年頃から、岩下和了社長は、”生姜カラー”の装いに変化しました。
「ピンクのスーツを着始めたのは17年、林家ペーさんとパー子さんに会社のイベントに来て頂いたのがキッカケ。お二人と言えばピンク。そして私たちの生姜もピンク。おもてなしをするつもりで、私も1万2000円のピンク色の吊るしのダブルスーツを買って。喜んで頂けましたよ」
引用元・文春オンライン
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地元の栃木駅界隈では「ピンク社長」としてすっかりお馴染みとなっています。
ですが、昔はハデなところがない人だったようで、岩下和了社長の奥様は心配されているそう。
今後も、ピンクの装いで新しいことにチャレンジされることでしょう!
まとめ
今回の記事は、
・岩下和了のwikiプロフィール
・岩下和了の経歴
・岩下和了の学歴
こちらの内容でまとめました。
岩下和了さんは高学歴で元銀行員という経歴の持ち主でした。
家業を継ぎ、事業を継続する中で、SNS発信などの様々な挑戦は素晴らしいですね。
父親のやり方に従うのではなく、時代の流れに沿った経営ができる敏腕社長ということですね。
今後の活躍も楽しみです!
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