【山田養蜂場】山田英生のwiki経歴プロフ!妹の病気が創業のきっかけ!

はちみつやローヤルゼリーで有名な山田養蜂場。

その山田養蜂場の社長は、山田英生さん。

や山田英生さんは、一体どのような経営者なのでしょうか?

今回の記事では、

・山田英生さんのwikiプロフ・経歴について
・山田英生は売上574億円の2代目社長

こちらの内容でまとめていきます。

目次

【山田養蜂場】山田英生のwikiプロフィール!

山田英生さんのプロフィールをご紹介いたします。

山田英生のプロフィール

名前:山田英生
生年月日:1957年
年齢:66歳
出身地:岡山県
職種:山田養蜂場・代表取締役社長

【山田養蜂場】山田英生の経歴!妹の病気が創業のきっかけ!

次に、山田英生さんの経歴をご紹介します。

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1957年 岡山県に誕生

もともと私は“養蜂場”の後継者として生まれました。
引用元・https://kenhoku.jp/turns/vol-52-1/

養蜂業を営む一家の跡取りとして生まれた山田英生さん。

養蜂業の始まりは、父親の山田政雄さんが1948年に、”子供の健康のために”と採集を始めたことがきっかけだったそうです。

私には、2 歳違いの妹がおりました。
その妹が先天性の心臓疾患を持って生まれてきたために、両親は私が子どもの頃から非常に健康に対して気を遣っていたのです。当社がローヤルゼリーの生産と販売をかなり昔から手掛けていたのも、両親が、妹の健康のためにと、採集を始めたことがきっかけなのです。
引用元・https://kenhoku.jp/turns/vol-52-1/

養蜂業を営みながら、1950年頃~全国の消費者に直接通信販売を行う会社でした。

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16歳の時、妹が他界

2歳違いの妹は、山田英生さんが16歳の時になくなってしまったそうです。

健康な身体を取り戻せるはずの手術により亡くなってしまったことから、私たち家族は人生の目標がなくなってしまったのです。
それ以降、空虚な気持ちをずっと感じていて、「何のために妹が生まれてきたのか」とか、「何のために病気の妹が一家の中にいたのか」というのが、ずっと自分の中での問い掛けでした。
深く悩んだ自分自身の心に浮かんだのは、妹を健康にしたいとの想いで懸命に娘を育てていた両親の姿でした。その両親の姿から、「仕事とは、必ず誰かのために、役に立つために存在している」のであり、「人にはそれぞれ使命がある」ということを確信しました。そして、自分の人生における使命とは何かと考えた結果、「自分はこれまでの経験から、他の人より少し人の健康のことについて考えることができる」、そのことが強みだと。
引用元・https://kenhoku.jp/turns/vol-52-1/

妹さんが病気で他界したことが、”人の健康づくり”を追求するきっかけになったそうです。

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大学でマネジメントを学ぶ

山田英生さんの出身大学は、

八幡大学(元九州国際大学)法経学部

です。

将来、経営者になるためにマネジメントや法学など、学ばれていたようです。

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大学卒業後、一般企業に就職

大学卒業後は、一般企業に就職し、3年間勤務しました。

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1983年 山田養蜂場に入社

一般企業で経験を積んだ後、父親が創業した山田養蜂場に入社しました。

入社後は、ミツバチ関連の製品を製造販売していく、製造直販を事業の軸にシフト変更しました。

ビジネスとしては“養蜂場(蜂蜜あるいは蜜蝋や花粉をとるためにミツバチを飼育する農業)”の経営というのは厳しいものでした。ビジネスとして成り立たせるためには、農家ではなくて、養蜂生産物を製造したり、販売する“メーカー”そして“小売事業者”にならざるを得なかったのです。
引用元・https://kenhoku.jp/turns/vol-52-1/

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1988年 人生最大のピンチ

1988年に父親が脳梗塞で倒れ、その2日後に自宅が火災で全焼。

人生最大のピンチが訪れましたが、これが人生の転機と考えたそうです。

 2 つの大きな出来事が突然発生し、そのことをきっかけに、真剣に将来の自分の事業のことを考えざるを得なくなったのです。
引用元・https://kenhoku.jp/turns/vol-52-1/

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通信販売事業が成功

人生最大のピンチを乗り越えるために、通信販売事業を本格的にスタート。

これが成功につながっています。

先ずは、当時一千万円にも満たなかった通信販売をさらに伸ばしていくことを、自分にとっての大切なミッションにしようと決めたのです。
もともと私自身あまり一般的な営業活動に向いている性格ではないと自分では自覚していました(笑)。
お世辞をいうのが嫌いで、そういう上手な会話もできないので、誠実に直接お客様とやりとりする仕事の方がよいと考えたのです。
そのあたりの適性からも通信販売を本格的にやっていこうとの決意につながったのかも知れません。

https://kenhoku.jp/turns/vol-52-1/

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1994年 株式会社ミコー設立

1994年に株式会社山田養蜂場の通信販売会員の声を反映し設立。

会社勤務経験ゼロの中年主婦を積極採用し、ハチミツ、ローヤルゼリーの製造・通信販売で急成長しました。

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1995年 山田養蜂場の代表取締役に就任

入社12年目に社長に就任しました。

この後、事業は次第に大きくなっていきました。

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1996年 ローヤルゼリーも国内シェア20%を達成

この年、はちみつの他に、ローヤルゼリーも国内シェア20%を達成しました。

ここからさらに事業展開の幅を広げていきます。

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1998年 化粧品事業スタート

1998年に、ローヤルゼリーを使用した化粧品シリーズを発売。

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2006年 みつばち健康科学研究所が完成

2006年 現在の「山田養蜂場 健康科学研究所」が完成。

みつばち研究助成基金を設立し、1億円の研究助成を行うなど、若手研究者の育成に力を入れています。

他にも、企業が資金を提供して文化・芸能活動を支援する”メセナ活動”にも注力しています。

山田養蜂場の活動
・1999年~全国約23000校の小学校に、1校あたり12冊の図書を寄贈している
・国内外での植樹活動
・ルーマニアの絶滅危惧種のハイイロペリカン保護活動

14歳で他界した妹の思いを受け継ぎ、あらゆる社会貢献活動に参加しているようです。

今後は、20年い所の研究結果を活用し、様々な新規の機能性食品の開発をしていきたいとのことでした。

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【山田養蜂場】山田英生のwiki経歴プロフィール!妹の病気が創業のきっかけ!

今回の記事では、

山田養蜂場の社長・山田英生さんの経歴について調査しました。

山田養蜂場も創業きっかけは、先天性の病気だった妹さんの健康を願って、英生さんのご両親が始められたんですね。

通信販売を中心に事業を拡大し、成功をされている山田英生さんの社会貢献活動も素晴らしいですね。

今後も注目していきましょう!

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