タリーズコーヒージャパン創業者の松田公太さん。
松田公太さんは、敏腕実業家として舌れていますが、一体どんな方なのでしょうか?
そこで今回の記事は
こちらの内容でまとめていきます。
【顔画像】松田公太のwikiプロフィール
名前:松田公太(まつだこうた)
生年月日:1968年12月3日
年齢:55歳(2024年3月時点)
出身地:宮城県塩竈市
職業:会社役員、元参議院議員
松田公太さんは、2024年現在55歳です。
実年齢より若く見えますね。
あのタリーズコーヒージャパンの創業者ということで、敏腕実業家です。
過去には衆議院議員という経歴もあります。
松田公太の経歴
松田公太さんは、タリーズ創業者として知られていますが、一体どんな経歴の持ち主なのでしょうか?
①青年期は海外で過ごす
1968年、宮城県塩竈市で生まれた松田公太さんは、幼少期を東京で過ごします。
父親の転勤で、青年期をアフリカ、アメリカなど、海外を転々としていたそうです。
松田公太さんの父親は、九州男児のため、竹刀で叩いて育てるという方針だったため、紀伊女の人たちは、「子供が虐待されている」と警察を呼ばれることもあったとか。
②大学卒業後は銀行員に
大学卒業後、
三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行)
に入行しました。
土浦支店に配属後、赤坂支店、池袋西口支店へ異動を重ねました。
ですが、1996年6月に退職しています。
その理由は、
高校時代から抱いていた食分野での起業を実現するため
だったそうです。
③タリーズコーヒー1号店オープン
銀行をやめた後の1996年9月、アメリカシアトルのローカルコーヒーショップ「タリーズ」と交渉し、日本での経営権を獲得します。
そして、
1997年、タリーズコーヒー1号店となる「東京銀座1号店」をオープン
したのです。
開業資金のために借金7千万円を背負い、それを返すために朝から晩まで店に立ち続けたそうです。
夢に向かって苦労を重ね、努力されたのですね。
翌年の1998年には、
タリーズコーヒージャパン株式会社を設立し、社長に就任。
更に、2001年には、当時のナスダック・ジャパン(現・ジャスダック)に株式上場も果たします。
2005年には、日本における「タリーズ」商標権を完全に取得されました。
しかし、1年かけて全店をま和英、タリーズコーヒージャパン株式会社の社長を退任しました。
④「Egg’nThings」をオープン
2010年3月、今度は、ハワイの人気店「Egg’nThings」の展開権を取得し、
「Egg’nThings」の日本1号店を東京原宿にオープン
させたのです。
松田公太さんは、なんと、パンケーキブームの火付け役だったのです。
⑤政治家になる
タリーズコーヒーの社長を退任し、海外の和食ブームを予感していた最中、浅尾慶一郎議員に、「一緒に日本を立て直そう」と誘いを受けたことがきっかけで、政界入りしました。
2010年7月11日、第22回参議院議員通常選挙に出馬し、最下位当選を果たします。
しかし、2016年7月、第24回参議院議員通常選挙に出馬せず、任期限りで政界を引退しました。
その理由は、
「政界では、社会・ビジネス界の常識が驚くほど通用しない。自分がいるべきところではないのではないかという思いに至った」
このように話されていました。
⑥多数企業の取締役に就任
国会議員引退後は、
・株式会社ベアーズ社外取締役
・株式会社ベクトル社外取締役
・インパクトホールディングス株式会社社外取締役
に就任しました。
その他にも、バイオエネルギーベンチャー、波力発電ベンチャー、対話型AIベンチャー等、多くのベンチャー企業の設立に携わり、社外役員を務めています。
これまでの実業家としての経験が豊富なため、多数の企業から声がかかったのかのしれませんね。
⑦コロナ禍の飲食業界を救済
2020年4月、コロナ禍で打撃を受けた飲食事業を立て直すため、2010年に立ち上げ、オーナーとして経営してきた
「EGGS ‘N THINGS JAPAN株式会社」の代表取締役社長に就任
しました。
コロナ感染拡大の影響を受ける飲食店を救済するための政策を発表し、官邸や複数の国会議員に提言を続けていました。
多くの飲食店経営者らからの依頼を受け、
「外食産業の声」委員会
を発足し、記者会見や党首クラスの国会議員との討論会を実施されました。
その動きが、野党5党で共同提出することとなった「事業者家賃支払い支援法」(中小企業者等の事業用不動産に係る賃料相当額の支払猶予及びその負担軽減に関する法律案)の策定につながりました。
松田公太さんの行動力は素晴らしいですよね。
松田さんのこれらの行動により、救われた飲食店経営者が沢山いるということですよね。
松田公太の学歴
松田公太さんは、1979年にアメリカマサチューセッツ州歴ワシントンに渡り、高校まで過ごしていたそうです。
中学・高校は、サッカー部に所属し、高校州大会で2度準優勝を経験されています。
その後、日本に帰国し、
筑波大学国際関係学類
い進学しました。
この筑波大学国際関係学類は、
偏差値:65.0~67.5
です。
大変優秀な大学ということがわかります。
大学では、アメリカンフットボール部に所属していたとか。
勉強だけでなく、スポーツでも活躍されていたようですね。
まとめ
今回の記事は、
・松田公太のwikiプロフィール
・松田公太の経歴
・松田公太の学歴
こちらの内容でまとめました。
松田公太さんは、元銀行員の超エリートですが、高校時代からの夢を叶えるために退職し、タリーズコーヒーを日本にオープンしました。
それだけでなく、政治家としての経験もあり、更には、パンケーキの火付け役だったとは、本当に驚きました。
松田公太さんの思考力や行動力は、本当に素晴らしいです。
今後もあらゆる分野で活躍されるのではないでしょうか。
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