様々な分野で活躍している実業家の若新雄純さん。
討論番組や朝の情報番組に出演し、コメンテーターとしても人気を博しています。
一体、若新雄純さんは、どんな人物なのか気になりました。
そこで今回の記事は、
こちらの内容でまとめていきます。
【何者】若新雄純のwikiプロフィール
本名:若新雄純
生年月日:非公表
年齢:非公表
出身地:福井県
身長:179㎝
職業:実業家、プロデューサー
若新雄純の本名
「若新雄純」という名前は、実は改名後の名前です。
元々は「若新」という苗字はそのままで「雄純」という名前は両親がつけたものではなく、自分で考えた名前だそうです。
名前を変えた理由は、
両親のつけた名前があまりに常識的でまともだったから
だそうです。
自分を社会的に象徴する名前くらいは、自分の変化や成長に合わせて、納得いくように考えてみたかったとか。
若新雄純の年齢
若新雄純さんは、ナルシストならではのこだわりからか、
年齢は非公表
です。
後ほどご紹介する経歴・学歴から見ると、
2024年現在、39歳~40歳
ではないかと思われます。
若新雄純さんは、宮城大学が新設7年目の2004年に入学しています。
この時19歳となると、生まれ年は1985年前後。
2024年1月現在、39歳~40歳と推測できます。
若新雄純の経歴
福井県福井市にて誕生。
兼業農家の多い山間部の集落で育ちました。
宮城大学に進学。(新設7年目)
株式会社LITALICO(旧・イデアルキャリア)を創業。
同社の取締役COOに就任するも、わずか1年7か月で辞任。
その後、慶應義塾大学大学院入学。
修士課程にて産業・組織心理学、コミュニケーション論を学ぶ。
自由業として独立。
企画・プロデュース業を行う。
自由業活動するための名義であった「雄純」を本名にすることを届け出る。
ニートが代表を務めるNEET株式会社を設立。
「アウトロー採用」
「ナルシスト採用」
といった社会に馴染めない若者に向けた就職サービスを始めました。
週休4日で月収15万円を提供する「ゆるい就職」など新しい働き方を模索・提案するプロジェクトを立ちあげます。
福井県鯖江市でメンバーが全員女子高生でまちづくりを行う「鯖江市役所JK課」を提案し、プロデューサーに就任。
同市の体験移住事業「ゆるい移住」プロジェクトも手掛ける。
また、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科で特任助教に就任。
2015年4月から福井大学で産学官連携本部客員准教授を務める。
その後、福井大学で産学官連携本部客員准教授に就任。
自身が大学院を卒業した慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス付属の団体SFCで、「ゆるいコミュニケーションラボ」を立ち上げ。
慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科で特任講師に就任。
翌年には、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科で特任准教授に就任。
あたらしい党の結党大会のモデレーターに就任。
出身地である若桜町で「究極のわかさ日の丸ごはんプロジェクト」や廃校を使いドローンスクール「ドローンキャンプ北陸の空」などを企画・プロデュースする。
ワイドスクランブル、Nスタなど報道番組のコメンテーターを務める。
浄土真宗の本山證誠寺で得度し、僧籍を取得。
法名は「釈諦純」。
若新雄純さんは、自分の地元やたくさんの企画やイベントのプロデュースを行い、地域の活性化に貢献しています。
僧籍を取得しているのは驚きでしたね。
若新雄純の学歴
若新雄純さんの学歴は、以下の通りです。
中学:福井県上中町立上中中学校
高校:福井県若狭高校理数科(偏差値60)
大学:宮城大学事業構想デザイン学部(偏差値45)
大学院:慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程
では、一つずつ見ていきましょう!
若新雄純の出身中学
中学時代にビジュアル系ロックバンドを好きになっています。
XJAPANが登場した時には「あれって、ロックなの、パンクなの、クラシックなの、一体なに」と説明が難しい存在だったといいます。
そして、XJAPANの存在によってビジュアル系という新しいカテゴリーができたとのことで、「新しいものを更新するっていうのはこういうことだ」と衝撃を受けました。
この時の衝撃がその後の若新さんのベースになっているそうです。
若新雄純の出身高校
若新さんは高校時代はバンドを組んで、音楽活動に熱中していました。
また当時は、テレフォンアポインターのアルバイトをしていました。
高校生の頃から「問うこと」が好きだったとのことで、インタビューでは次のように話しています。
「当時は校則から受験の仕組みまで色んなことがいちいち疑問でした。ネットもない時代だったので、疑問を共有するような場もなかった。親や先生に『そういうこと言う前に勉強しろ』と言われるほどに、ウジウジと問いを立てることにはまっていきました。」
また、若新さんは両親が教員だったこともあり、「勉強ができる先生の子」として育ってきました。
当初、大学進学は、京都大学や大阪大学に憧れていました。
ですが、高校3年生の夏から受験勉強を始めたため、間に合わないことから、できたばかりの宮城大学に進学しています。
若新雄純の出身大学
若新雄純さんが宮城大学に進学した理由は、
両親から「進学するなら、国公立大学以外許さない」
と言われたからです。
大学時代はバンドを組んでおり、文化祭などのステージに立っていました。
学園祭では、「ナルシスト狂宴」というイベントを企画しています。
ちなみにこのイベントは、その後もこの大学の学園祭の目玉になっています。
若新さんは大学1年生の時にはじめて起業をしており、このことについて次のように話していました。
「大学1年の時に、ちょうど制度の変わり目で、なにかやりたい事業があったわけではないけど、今の個人事務所になっている株式会社NEWYOUTHを作りました。」
批判はあったようですが、ぼんやりと会社で働くよりも起業家として生きていく方が、自分に合っていると思ったとのことです。
若新さんは大学在学中に障がい者など就職困難者の就労を支援する「LITALICO」を先輩と共同で起業しました。
ですが、若新さんは「経営者はこうであるべき」のような窮屈な考え方に葛藤を感じており、2年弱で取締役を辞めることになりました。
若新さんは大学時代から実業家として活動していましたが、学業とも両立させて大学は卒業しています。
その後は、
慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程に進学
しています。
そして2、009年に再び起業して、ダイニングバーなどを経営していました。
【何者】若新雄純のwiki経歴プロフ&学歴!本名/年齢/身長/大学は?まとめ
今回の記事は、
・若新雄純のwikiプロフィール
・若新雄純の経歴、学歴
こちらの内容でまとめました。
若新雄純さん、あらゆることにこだわりを持つ方のようです。
名前も改名するとは驚きでした。
今後も活躍が楽しみです。
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